悠琉、今日はひいばぁばとひいじぃじの初お墓参りおつかれさま。
暑かったな!
パイナップルの服がバッチリやったね。
神社の参拝とかお墓参りとかはするものの、実はパパは神様をあんまり信じていない。
ちゃんと信じて感謝してるのはご先祖様だけだ。
それはちゃんと存在があったから。
ご先祖様がいなかったらパパもママもいないし、悠琉もいない。
ずっと命をつないで来てくれたから、パパもママも存在していて、悠琉も存在してるわけ。
そんな有難いことに感謝するのは当然でしょ。
神様はよくわからない。
神様と対話ができるとか言ってる変な人もいるけど、そもそもいるかどうかもわからないし、それを証明できる人がいないからね。
毎日神頼みしてたって悠琉もママも守れないよ。
何があっても、どんな時でも、悠琉とママを守るのはパパしかいない。
それでもし神様がいたらラッキーっていう感じ。
いや、もし本当に神様がいたらスゴイと思うけどさ、もし本当に神様がいたら毎日世界中で絶望的なことばかり起こらないでしょ?
神様はこんな苦しくて悲しい世界はつくらないと思うんだよね。
悠琉と同じ歳くらいの子が戦争やテロで死んでいくのとか放っとくわけがないと思うんだよね。
だからパパは神様を信じてない。
信じていいのは、家族と”本当の”友達だけだ。
神様がいると信じるのはかまわないよ。
でも、神様が何かしてくれると信じちゃいけない。
神様にするのは、人生が上手くいっていることへの感謝だけだ。
何かをして何かを変えられるのはいつも悠琉自身だし、それで幸せを感じたり成功を掴んだら神様に「ありがとうございます」って言うんだ。
ただそれだけ。
よく聞く話では、神様に手を合わせて拝むことで、心が楽になったり、癒されたり、勇気が出たり、しんどくてもがんばれたり、人に優しくなれたりするらしいんだよね。
でもパパの場合、それって全部、悠琉がいるだけでそうなるんだわ。
ママがいるだけでそうなるんだわ。
だから、もしかしたら悠琉とママがパパにとっての神様なのかもね。
だったら神様を信じてもいいな。
悠琉とママを信じてるってことだからね。
悠琉も大きくなったらさ、まずは「身近にいる神様かもしれない人」に感謝だ。
まずは目に見える神様を信じよう。
次にご先祖様。
で、余裕があったら、神社とかの神様に感謝すればいい。
天照大神さんとか豊受大神さんとかさ、また恒例の初詣に伊勢神宮に行った時に教えてあげるよ。
パイナッポーごちそうさまでした(笑)