キミは誰かの命を継いでるのかも知れない

悠琉、パパとママは沖縄が好きで、沖縄のバンド『かりゆし58』が好きだ。

で、この日になるとパパはこの詞を思い出す。
 

僕が生きる今日は もっと生きたかった誰かの明日かも知れないから

かりゆし58『さよなら』

 

 
今日、1月17日が何の日かというと、今から23年前に阪神大震災っていうデッカイ地震が起きた日で、たくさんの人が亡くなったんだよ。

で、去年のパパのブログにも書いたけど、パパはそのど真ん中にいて、家は全壊して本棚の下敷きになってたんだけど、たまたま生きることができた。

だからママとも出逢えたし、去年、悠琉とも出逢えた。
 

なんかさ、10代の頃とか、20代の頃とか、スゲーつまらん日が続いたりした時はさ、「生きてる意味とかあるんかな」とか考えたことがあったんだよ。

でも今はホンマに生きててよかったと思う。

ママと悠琉だけじゃなくて、友達や仕事仲間とか、いろんな最高の人たちと出逢えて、毎日幸せな日々を過ごせて、自分の生きる意味が見つかってホンマに嬉しい。
 

生きたいけど生きれなかった人たちに恥じないように、今日からも精一杯生きる。
 

新しい命を授かった今年の黙祷は特別だ。

だって、パパはあのとき亡くなった誰かの想いを継ぐことしかできないけど、悠琉はあのとき未来を閉ざされた誰かの命を継いでるのかも知れないわけだから。

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HARUとPAPA

息子の悠琉(ハル)のために始めた親バカブログです。将来、悠琉がこのブログを引き継いで自分のメディアとして使ってくれたら嬉しいなと思っています。それまではパパが代理で書きます。というか、ひたすら悠琉...

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